今日の法話2020/01/01
「南無阿弥陀佛」は「われに任せよ」の呼び声
皆様 あけましておめでとうございます。
娘が高校生の時、PTAの役員をしていた私が広島で開催された研修会に参加するため、新幹線に乗った時の出来事です。
岡山駅から乗車した私は車両の入り口近くの通路側に座っていました。
車内はほぼ満員でしたが、私から五列ほど先の通路側に少しガラの悪い四十代くらいの男が座っていました。なぜ五列も先の男が目についたかというと、左のひじ掛けに大きくもたれかけ、更に通路にはみ出すほど左足を大きく開いていたからです。
福山駅から七十才くらいの作業着を着た労働者風の男性が肩に大きな荷物をかけ乗ってきました。男性は私の横を通り過ぎ、ガラの悪い男の横も通り、前へ進もうとしましたが、男の頭が通路へはみ出していたものですから、大きな荷物が男の頭を直撃しました。
その瞬間、男は「何しとんじゃ!」と大きな声を出し、車内は一瞬にして水を打ったように静まり返りました。
「土下座せいや!」更に大きな声で男性を罵倒します。
男性は土下座して、「すいません。すいません。」と謝りますが、男は「ごめんですんだら警察はいらんわい!」と更に男性に詰め寄ります。
周りの人たちも一目見て危ない男の風体に見て見ぬ振りをするしかありません。
私も同じでした。
しかし、次に出た男性の言葉に私はじっとしておれなくなりました。
「南無阿弥陀佛、どうか許してください。」と男性の言葉です。
私はその男の席まで行き、「もういいでしょう。」と男性と男の間に割って入りました。
男は私に向かって、「なにを!」と食ってかかりましたが、周りにいた何人もの人たちが席を立ちあがり、男に向かって意見したものですから、男はきまずくなって他の車両へ移っていきました。
その男性の言った「南無阿弥陀佛」に私は動かされたのですが、その男性はどういう気持ちで念仏したのでしょうか。
男性の思わず口をついて出たようにも思われる「南無阿弥陀佛」ですが、その念仏に男性の気持ちの意味付けをする必要はありません。
どんな気持ちで称えた念仏であったとしても、「南無阿弥陀佛」は阿弥陀様に他ならないからです。
阿弥陀様の救いが働いている姿が「南無阿弥陀佛」、阿弥陀様が「われに任せよ」と呼んでくださる声なのですから、私のはからいは不要なのです。
今年もお念仏の毎日を過ごしましょう。